メアリー・アン・マシューズは言った: いつまでこんな暗い部屋にいるつもりかしら。

僕は言った: 切れ掛かった蛍光灯が一本だけ、僕と君を照らしている。この部屋はまるで警察署の取調室のように思えるけれど、光の届き切らない四隅は湿ったような暗闇が積もっていて、その向こうに空間がないなんてことには何も保証がないようにも思える。実際のところ、僕はこの部屋の広さを確認したことはない。何度も、君と話しているというのに。

メアリー・アン・マシューズは言った: そう、それで。

僕は言った: 君は、五十センチメートル四方の薄茶色の木製の机を挟んで、僕の向かいに座っている。仕草は僕を注意深く観察しているようだし、けれど次の瞬間には飽きて投げ出してしまいそうにも見える。表情は暗くてよく見えない。髪が、表情を影へ取り込むように隠している。声もどこからか、遠くから響いているように聞こえる気がする、ことがある。

メアリー・アン・マシューズは言った: 続けて。

僕は言った: 部屋の入口、あるいは出口はどこにあるのかわからない。僕の視界にはない。湿った空気が部屋の中を蠢いているような感覚。空気に溺れている。僕はいつも君のことを真剣に見るけれど、時にそれが恥ずべきことのような気がして目を逸らしてしまう。その瞬間、君が、僕の考えも及ばないような感情や意図から、悪魔のような表情で嘲笑って僕を見ているのかも知れない、そんな気に、錯覚に陥ってしまう。

メアリー・アン・マシューズは言った: それから。

僕は言った: こんな妄想めいたことに囚われている僕のことをおかしいと思うかい。気が触れていると思うかい。でもこれは確かなことなんだ、僕はときどきこうして君へ会いにこの部屋へ来ている。一通り話した後、また元の自分の部屋に戻っているんだ。僕は狂ってなんかいない、君はそこにいるんじゃないか、そうだと言ってくれ。

メアリー・アン・マシューズは言った: 可笑しな人。

メアリー・アン・マシューズは言った: 少しは変われたのかしら。

僕は言った: そうともメアリー、僕は幸せになれた気がする。僕は、少しだけ変われた気がする。誰もが願うような幸せを願って、自分より先約のあることを悔しがって、馬鹿みたいに口を開けて次の順番を待っている。大人しく列に並んで、椅子に座って、ただただ誰かに選ばれることを夢見て、待っている。鎮静剤のひとつも使わずに、僕は今あるべきところへ適応できた気がする。やり切れなくなるくらいに過敏だった僕の神経は、程好く鈍化して、少しくらいの痛みに悲しんだり喜んだり、例えば今日雨が降っていることとか、そんなことはどうでもいいと思えるようになっている。

メアリー・アン・マシューズは言った: 悲惨なこと。

僕は言った: そうともメアリー、なんて悲惨な!僕は幸せになれた気がする、けれど僕はますます満たされなくなった。かたちだけ彼らと一緒になることができた、けれど僕は、一度だってこれでいいと思えなかった。馬鹿みたいに口を開けて次の順番を待って、本当は心の底でため息ばかりついている。結局僕はこんなことを繰り返して、また元の道に戻ろうとするんだろう。その戻る道筋すら見失って途方に暮れて、ようやく戻れば戻ったでその道にほとんど価値のないことを思い出して、見通しのあまりに悪いその道程にますます情けない気分になるんじゃないか。

メアリー・アン・マシューズは言った: 悲惨なこと。

僕は言った: 久し振りだね、メアリー・アン。僕は、君のような厄介な連中がいないと生きていられないらしい。どうぞ、これからもよろしく。

メアリー・アン・マシューズは言った: あなたは逃げたのよ。自分と彼女を結ぶ接点を全て消して。

僕は言った: 誰かを恨むなんてくだらないこと。そんなことに労力と時間を費やすなんて無駄だよ。僕は彼女のことを恨んでなんかいない。僕は僕のために明日から生きられるよう、僕は彼女のことを恨んでなんかいない。誰かを恨むなんて、くだらないことだよ。

メアリー・アン・マシューズは言った: そう思わなければやっていかれないものね。

僕は言った: 君には敵わないな。

メアリー・アン・マシューズは言った: サインを逃さないで。

僕は言った: どんなに表向きを飾り立てたって、本質的な部分はどうすることもできない。どんなに知ったふうなことを言ったって、本当の自分がどれだけ救われたがってるか気付いてしまえばそれまで。無意識は本能、強がりなんてどこにもない。本当はどうしたいのか、もうわかっているはずだ。あらわれる、夢、夢。夢。

メアリー・アン・マシューズは言った: サインを逃さないで。

メアリー・アン・マシューズは言った: それは大切にしておいた方がいいわ。あなたが選択できる数少ない衝動行為で、あなたに与えられた数少ない才能のうちのひとつなのだもの。

僕は言った: ずっとここでやってきて、ひとつだって文字にせずに済んだことはなかった。病んでるんだ、そんなことは最初っからわかってる。どうしたらいいかだってわかってるはずなのに、どうしてもそうすることができない。

メアリー・アン・マシューズは言った: 捨ててしまえばいいのに。

僕は言った: そろそろ舞台を降りてくれないか。独りでやるべきことがある。

メアリー・アン・マシューズは言った: 夢見がちね。

僕は言った: 例えば爪。髪。頼んでもいないのに伸び続けるものを、僕の体から生まれ続ける僕にとって必要かどうかわからないものを、どうやって止めることができる?僕が周囲に与える影響や、僕の中から沸いてくる衝動や、そんなものだって同じはずだ。吉良吉影という架空の人物がいる。彼はどうしようもない本能を持っていて、あるいは自分のために誰かが酷い迷惑を被ろうがどうとも思わないやつだ。平たく言ってしまえばクズみたいな一面があるが、それでも、彼には尊敬できる部分がある。爪を伸び続けることを止められないことが、彼の衝動とリンクして、なんて。

メアリー・アン・マシューズは言った: 漫画とゲームが悪影響を及ぼす、って言うわね。

僕は言った: くだらないよ。ポルノ映画の列に並ぶことの方が、よっぽど。

メアリー・アン・マシューズは言った: 悲壮な様子ね。

僕は言った: 僕は僕のために、僕の力を使う。僕が叶えたいことは僕が叶えるしかないし、誰も肩代わりはしてくれない。それは当たり前のことだし、そうあるべきこと。けれど僕は、そんな簡単な結論へたどり着くまでに、もうずいぶんと時間を費やしてしまった。これはとても滑稽なことだけれど、とても大事なことでもある。僕のために僕の力を使うということに、僕はたどり着いた。これは誰の示唆でもない僕の道標で、僕が、僕のために、僕自身で見つけたことだ。

メアリー・アン・マシューズは言った: 大層なこと。

僕は言った: 合衆国独立宣言を聞いたことが?時代や人にとっては当たり前のことが、瞬間にはそうでないこともある。ある人にとっては空気のように当然のことが、ある人にとっては深遠に隠された真理のようなものであることもある。ギャップ、そう、相違点とその感覚。例えば僕のように欠落した人間にとって、当たり前で空気のようなものが隠された真理のようであるかも知れない。例えば僕が欠落していなかったとして、それは同じこと。ともあれ僕はここへたどり着いたのだから、僕は、そのようにする。

メアリー・アン・マシューズは言った: 悲壮な様子ね。